とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

頭の中の固定観念を書き換え中です

インプットとトライアンドエラーの繰り返し

継続すればきっといいことが待っています

だらしない更新が続きますがどうかどうかお許しください

心の柔軟体操

定期的にじぶんの後ろ頭をすぱーん!

 

「真面目か!」

「根暗か!」

「深刻か!」

 

 

親孝行って何をすればいいの?

わたしの中で「親孝行」というのは、「ご飯を一緒に食べること」。プレゼントをあげるでも、肩をもんであげるでも、お金の応援をすることでもなくて、たしかにそれらも喜ばれることでしょう、だけれども、わたしの家族の場合は違うのです、とくに何をするわけでもなく、ただ時々一緒に過ごすのです、そして「ご飯を一緒に食べること」。

 

子どものころは違いました。その時は、「地元の良い大学へ行くこと」でした。これもわたしが勝手に“そう思っていた”に過ぎないことではありますが…

 

大人になってから(わたし自身現時点で大人になったとはとうてい思えませんがあはは)分かったことは、「親孝行」の(わたしの思う)かたちは変わりゆくものということ。それぞれ賞味期限があるのでした。

 

「健康でかつ、いい子でいること」は中学生まで。

「地元の良い大学へ行くこと」は、大学生まで。

「ご飯を一緒に食べること」は、これからしばらくです。

 

大人になったって、母からしたらずっとずっと子どもであり、おじいちゃんおばあちゃんからしたらずっとずっと孫なのです。

 

大人になったら大人らしいことをしてあげることが親孝行とは限りません。そうする人へだめって言いたいわけでもなく、不十分だと言いたいわけでもありません。わたしだって、母にハンドクリームをよくプレゼントしたり、祖父母にお歳暮風のものを時々渡したりしています。これもたしかにひとつのかたち。

 

けれども、わたしの中ではそれらは決して一番(親孝行たる主要素)にはなり得ないのです。「親孝行」とは違うのです(ただの一方通行に近い「喜ばし」です)。

たとえそれらができなくたって、一緒にご飯を食べて過ごすことが時々でもいいですから、できたならば、それで合格点。

きっと、なにもしていない(なにもしてあげられていない)と感じることがあるかもしれません、わたしもいつもそう思って不安になります。が、でもそれが「親孝行」として、一番近いように今は思っています。

 

「いろいろしてもらっちゃったのにわたしなにもできなくてうんぬん」と言ったときに、

「そんなことないよ」と言うのは、

わたしの知らない何かを受け取っているらしいのです。

 

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おまけ

 

今日の夜ご飯こんだて
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  • 二色そぼろ(挽き肉と卵)
  • 菜っぱ(三色にしたかった)
  • 大根おろしとなめこのお味噌汁
  • ごはん
  • ごぼうとにんじんの甘辛

大事なことはすきなこと

なにが得意かじゃなくて

なにがすきか

 

なにが大事なことかじゃなくて

なにがすきか

 

なにがどうあれじぶんを含めたより多くのことをすきになるのは重要なことで

じぶんのすきなじぶんじゃなきゃしょうがないのです

 

「毎日その場しのぎのわたし」はそんなに好きじゃない

から、どうしようかなっていつも考える

 

あらゆる疑問はだいたいどうでもいいこと

なにがすきかと思うのは

今とてもつよい

思う言葉もしゃんとして

炊飯器の予約スイッチを入れ忘れたらしく、昨夜は遅くにご飯を食べ終えてそのままぐっすり。

今朝はお腹が減った感じがしなくて、ご飯を2、3口、お塩をちょっとなめて御馳走様をしました。リセットがかかったのか、バランスがとれたのかわかりませんが、今日は身体の調子がいいようで。

 

わたしの嫌いなわたしの言葉

わたしの苦手なあなたの言葉

それらを思わず口にせず

それらを耳に入れても思い流し

 

常日頃から自分がいいなと思う言葉と言葉遣いで話をして、適切な量と形で、

すっきりと気持ちよさを纏って過ごせたら、、

 

そうなったらいいなと最近特に思います