とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

喜ぶ顔を思い浮かべてカボチャを煮るの

いつも“お節介”になってしまう

いつも“余計なこと”になっちゃうんだよね

 

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なにかするときの気持ちはわくわく、どきどき、むずむず

喜んでくれるかなア?

思うだけで楽しくなって

無償の愛とか言ったら堅苦しくてやんなっちゃうけど

そのときのわたしは

なんでもできちゃうよ

 

きっとすごくいきいきしてる

 

***

 

なにかしたあとの感想は

「いまいち」

 

じゃあ

 

「やらなければよかった」

 

やらないほうがその人はしあわせだったじゃん!

いつもそうやって

わたしはわたしのしたことを責めたね

 

わたしはなにもしないほうがよかった?

 

今後一切関わらぬことで、なにもしないことで、この罪は償えるのでしょうか

 

***

 

なにもしない方が正しかったかどうか、やってみなくちゃわかんない

 

それをたよりになにもしないようにして

お節介、余計なことを恐れて生きてきた半年間はどうだったかというと

 

これもまたいまいち

 

人のことはどうかわからないよ

ただじぶんのことはわかるよ

とっても楽しくないんだね

 

なにもしないでいたら

楽しくない喜ぶこともなし

わくわく、どきどき、むずむずの芽を片っ端から摘んで

なにもしないつもりだったのに

いつのまにか

なにもできなくなっちゃった

 

この病のひとつはきっと

「わたしにはあなたを幸せにする自信がない」

っていう弱気のまじめさん

 

弱気な心と対峙するのを避けて

なにも考えないことたくさんしてきたね

なにも考えないことをしてるとそれはそれで悪くはないけど善くもない

明日もなければ昨日もなくて今日すらないの

 

毎日の点と点は、決して交わることなく

一瞬光って永遠と消える

その光を楽しみにして生きていたら

いつか万歩計のぜろを見てがっくしをくらいます

 

***

 

自信なんていらないよ

うそです

自信は必要だよ

 

自信は、自分で信じること

どこかでもらってくるものじゃないでしょ

まずは自分から。

自信なさそうにしている人が喜ばそうとしてたら気を使う

自分の楽しさとか喜びが一杯になって溢れてきたものを人に浴びせるイメージで

結果、惨敗しようが結果にこだわっちゃいけないよ

 

はじめっからうまくいきっこない

うまくいかなくたって

ときどきでいいの

人が喜ぶのを楽しみに生きて

なにがわるい

 

その心がけを

少なくともわたしとあなたは

「いいですね!」

って本当に本当に思っているよ

 

わたしはあなたは

あなたやわたしの

喜ぶ顔を思い浮かべる想像力があります

 

そのためになんでもできちゃうのが

あなたとわたしで

 

「どうしてこんなことが言えるの?」

 

って、そんなこと聞く必要なんてないでしょう。

あなたは特別な子です。

なのにその力を使わないなんて最低でしょう?

 

 

喜ぶ顔を思い浮かべておはぎをこしらえる勇気を

もう一度奮い立たせるのだ

頭の中の固定観念を書き換え中です

インプットとトライアンドエラーの繰り返し

継続すればきっといいことが待っています

だらしない更新が続きますがどうかどうかお許しください

心の柔軟体操

定期的にじぶんの後ろ頭をすぱーん!

 

「真面目か!」

「根暗か!」

「深刻か!」

 

 

親孝行って何をすればいいの?

わたしの中で「親孝行」というのは、「ご飯を一緒に食べること」。プレゼントをあげるでも、肩をもんであげるでも、お金の応援をすることでもなくて、たしかにそれらも喜ばれることでしょう、だけれども、わたしの家族の場合は違うのです、とくに何をするわけでもなく、ただ時々一緒に過ごすのです、そして「ご飯を一緒に食べること」。

 

子どものころは違いました。その時は、「地元の良い大学へ行くこと」でした。これもわたしが勝手に“そう思っていた”に過ぎないことではありますが…

 

大人になってから(わたし自身現時点で大人になったとはとうてい思えませんがあはは)分かったことは、「親孝行」の(わたしの思う)かたちは変わりゆくものということ。それぞれ賞味期限があるのでした。

 

「健康でかつ、いい子でいること」は中学生まで。

「地元の良い大学へ行くこと」は、大学生まで。

「ご飯を一緒に食べること」は、これからしばらくです。

 

大人になったって、母からしたらずっとずっと子どもであり、おじいちゃんおばあちゃんからしたらずっとずっと孫なのです。

 

大人になったら大人らしいことをしてあげることが親孝行とは限りません。そうする人へだめって言いたいわけでもなく、不十分だと言いたいわけでもありません。わたしだって、母にハンドクリームをよくプレゼントしたり、祖父母にお歳暮風のものを時々渡したりしています。これもたしかにひとつのかたち。

 

けれども、わたしの中ではそれらは決して一番(親孝行たる主要素)にはなり得ないのです。「親孝行」とは違うのです(ただの一方通行に近い「喜ばし」です)。

たとえそれらができなくたって、一緒にご飯を食べて過ごすことが時々でもいいですから、できたならば、それで合格点。

きっと、なにもしていない(なにもしてあげられていない)と感じることがあるかもしれません、わたしもいつもそう思って不安になります。が、でもそれが「親孝行」として、一番近いように今は思っています。

 

「いろいろしてもらっちゃったのにわたしなにもできなくてうんぬん」と言ったときに、

「そんなことないよ」と言うのは、

わたしの知らない何かを受け取っているらしいのです。

 

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おまけ

 

今日の夜ご飯こんだて
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  • 二色そぼろ(挽き肉と卵)
  • 菜っぱ(三色にしたかった)
  • 大根おろしとなめこのお味噌汁
  • ごはん
  • ごぼうとにんじんの甘辛

大事なことはすきなこと

なにが得意かじゃなくて

なにがすきか

 

なにが大事なことかじゃなくて

なにがすきか

 

なにがどうあれじぶんを含めたより多くのことをすきになるのは重要なことで

じぶんのすきなじぶんじゃなきゃしょうがないのです

 

「毎日その場しのぎのわたし」はそんなに好きじゃない

から、どうしようかなっていつも考える

 

あらゆる疑問はだいたいどうでもいいこと

なにがすきかと思うのは

今とてもつよい