とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

砂糖菓子になりたければ一度コーヒー役に甘んずる他ないのか

あとでおもいきりラクしたいから
今はつらい方がいいんじゃないかって思うことがある

あとでつらくなりたいから
今ぐーたらだらけてみせる節がある

甘いものがほしいから苦さを求めることがある
苦さを楽しみたいから甘さを求めることがある


なんかわたしはこういうところあるなーって思うことがある。


片方を引き立たせるために、あえて自らを対極の方へ追いやる作戦だ。

結果、幸せになるのだから今は甘んじて苦しみに耐えてみせよう
という考え。

豊作を祈願して生け贄を捧げるみたいな。

これは違うか。


相関関係はどうなってるのかわからないし、回りくどいやり方かもしれない。意味がないかもしれない。


いや、実際には意味はないよネ。

どんなに苦しもうが、正しく動かなければゴールへはたどり着かない。

頭抱えてウンウン唸ってれば答えが見つかるわけじゃあない。
それより誰かに聞いた方が早い。
それもつらいときもある。そういうときは自分をホッとさせてくれる何かにホッとさせてもらう。
自分が自分でない時は自分にもどるだけ。

すべてあたりまえのことをやればいいだけのことであって、関係もないのに自分を対極に追いやったって意味はないはず。
関係あることと関係ないことを自分で決めてみる。


人は、うまくいったとき、同じ方法でまた成功しようとする。

対極に追いやる方法はこういうときに思考停止でやってしまいがちであるが、その答えは、

うまくいくときも、うまくいかないときもある。

ということだけみたい。


ただ言えるのは、

理想のイメージを強く印象づける

という点においてだけは、優れているやり方だとは思います。
あと感動したいときとかネ。


お煎餅にお茶とか、
コーヒーにケーキとかは間違いなくこれからもしますが、

何かになろうとする目的で、
自分を苦しめたりする方法を
わたしはもう
使わない。


リラックスした状態がいいんだナ。

幸せになりたければ、
「幸せになりたい」と願うこと、それでまず自分に合格あげちゃっていいんじゃないのかな。

ケーキになりたければ、
「スポンジ役ならイケるかナ」くらいのスタートアップがいいんじゃないのかな。

スポンジに失礼か。