とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

「言葉」に興味をもった2015年。

まずは今年、ブログを読んでくださった人に感謝。thankyou. ありがとうございます。



今年はよい年でした。

一番多くの本を読みました。
多くの一人一人に触れました。
価値観に触れ、自分を知っていきました。

一番決断して、一番失敗して、
一番何もしない日を過ごして。
困って。

でも大丈夫でした。



ブログを始めました。
おかげさまで毎日更新。

まだひよっこです。

わたしの口から出る言葉は、まだまだ思いやりもなく、不親切で、面白さのない、作為的でいやらしいものです。

心もどうしてか、小さなことにも動じてしまいます。急いてしまうこともあります。



だけれども、それをなんとかしようとするのが、なかなか面白いものです。楽しいもんだな。

最近はすぐ気づくことができるようになりました。


来年は言葉や、かたちや、所作の修行。
誰が見ていても、気にせず、
誰も見ていなくても、自分でわたしを見つめる。

上手になりたいわけではありません。


何か自分を埋めてくれるようなモノを求めて、さ迷う。世間ではチヤホヤされているようなモノを見てもなんだか目を向ける気がしない。わたしにとってはつまらないものなのか。
ただ、ある場所ではっとなって、足を止めて、1分間だけ、ただただ眺める。また、何事もなかったかのように歩いてゆく。
それでいい。
そんな絵がいい。


文脈とか、正しい文章とかは、どうでもいいんだ。
自分の出したい言葉を出し、出したくなかった言葉に気づいて改める。
よく本を読み、よく人を好きになり、そこで使われた、じぃんとくる言葉を自分の中に取りこむ。積極的につかう。アイウエオの口をしっかり作ることが、基本だと思っている。それでいてヘラヘラしましょうか。
なぜだか、花がある。
そんな言葉がいい。


脱いだらクシャっと小さく丸めて、衣類ケースにしまっていた寝巻き。
どなたか忘れてしまいましたが、あなたのお陰で今はキレイにたためています。
しわを両手で伸ばし、丁寧にたたむ。次に着るときの自分にサービス満点です。
ドアの前で鉢合わせになっても、「お先にどうぞ」
向こう側に渡るのに、ちょっと遠回りしなきゃいけないような、面倒くさい横断歩道。
今では、わたしにとって、急がないための修行の橋となっています。
初心を思い出させる、いい場所になっています。

時に、いける!、と判断して、棚の奥にあるものを取ろうとして、棚ごとひっくり返すこともあります。
昨日ありました。あはは。

時に、わからないことを「わからない」と言えばいいものを、そう言わずに、微かな記憶を頼りに、テキトウで、頼りない返事をしてしまったこともあります。
少しでも“自分だけ”が貢献したいという小さな心が見えて嫌になります。

が、ハッと気づいて、修行、修行と心に言い聞かせます。
次こうしよう、あの人ならこうする。理想のわたしなら、このように答えます。と、想像力を働かせる。


修行です。
不動心でもなんでもいい。
リラックスした心がいい。
品のある所作を求める心を、持ってい続けようじゃないの。

求めすぎると視野が狭くなることも念頭において。
「見られる」と「見る」のバランスをもってして。


自分をよく見つめ、
本をよく読み、
ブログでよく作文し、
日々ていねいに暮らし、
修行、、、

修行???
なんか違和感を感じてくる。


あ、
今気づいた。

修行より「稽古」の方が合っているかも。
よし。しっくりきた。今のところ。

こんなところからも、言葉に興味をもった一年だったと、わかります。


何かに心を傾けて、
好きを増やす努力をする。


1秒でもいい。「好き」な気持ちを集めるように。「嫌い」な気持ちに追い越されぬように。




来年は食欲との折り合いをつける、妥協点を模索していきたい。
食べたいし健康でいたい。

人間ってわがままです。