とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

何のために咲くのか。何が咲かせるのか。

隔週記事を書きたいとりえです。火曜日のお題は「花のある人」。


「花」とはなんなのでしょう。「花のある」とはなんなのでしょう。
先週に引き続き、もうちょっと、考えていきたいと思います。

以前ご紹介したこちらの本に、ヒントのような言葉があり、今のところ、それがしっくりときているところです。

見られるような気持ちがあるうちが花ですよ

色気なんか、どうすりゃあ、どうなるってものじゃあない、わたしが、感じるものなんだ


花になるためにこれこれこうする。
そうじゃ、ない。

花がある。花のある。
それは、自分じゃない誰かが感じることのよう。

しかし、誰かがそう感じるのは、そこに咲いているから。

ここでいう「咲く」とは、スポーツ選手などで、返り咲くなどと用いられるような「何か結果を出す」という意味ではないように思います。

「与える」に近い気がする。

自分を高めるため
だけではなく、
相手を尊重するためにも、咲く。美しさを纏う。

それが、「見られるような気持ち」と繋がっているように思います。

相手への配慮や尊重と、自己のかたちは、一見相反するもののように見えますが、両立できる。
かけ算のようにプラスになって、周りを明るくする。

敬語が、話す人と聞く人両方を美しくするような、
おしゃれが、着る人と見る人を心地よい適度な緊張感に包み、明るく幸せにするようなイメージだと思います。バランス感覚が大切。

独りよがりになるのではなく、自分を捨てて相手に尽くすのでもなく、それは、自分を含めたみんなに行き届く。

その究極的なバランス感覚のてっぺんに、「花が咲く」があるのかもしれません。


ほんの少し、わずかですが、輪郭が見えてきたように思える。うれしい。