とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

禅や仏教に興味はないけど、「半眼(はんがん)」スキルは習得したい

目をぱっちり開いていますと、自分の意思とは関係なく無差別強制的に周囲の視覚情報が入ってまいります。


人は一日に、ええと何万回か忘れましたが、そうですウン万回もの判断を無意識にしているようです。曖昧で申し訳ない。とにかくたくさんです。
それが、人間は歩く情報処理機と言われる所以であり、睡眠をとるなどして休憩をしないとぐったりと疲れてしまう要因になります。


視覚情報があまりにも多すぎますと、頭の中が騒がしくなり、落ち着かないですし、早く疲れます。
スマホを眺めて疲れるのも、光の原因もありますが、あまりにも画面にところ狭しと情報が入り乱れているところに同じ理由を見出だせるでしょう。


目をぱっちりさせるだけでも視覚情報がわんさか入ってくる。無意識に情報処理され、精神と頭を疲労させる。



そこで半眼(はんがん)。



その名の通り半分の眼ということです。イメージとしては眠そうな目。半開きな目でございます。真面目に言うと、仏像のまなざし。

ただ眠そうな人や、目が半開きのイッちゃってる人とは訳が違うのです。


意識的に視線を落とし、視覚情報を半分に減らし、情報処理も半分に減ります。その落ち着き払いましたお姿、その包み込むようなやさしい眼差しはまさに神か仏か。

りんとした姿に見た人は姿勢を正すでしょうか。



所作としましては、姿勢よくした状態で(背中を丸めて下をうつ向くのではありません)、目線だけを自分の足元から1.5mほど前方に落とす。これが基本の構え、畳一畳分の眼差しです。いや、半眼でした。

その状態をキープしながら歩いたり、信号を待ったりするのです。
きっと、他人の目にうるさいくらいにキョロキョロとしていたときよりも、落ち着いた佇まいで、素敵に見えることでしょう。自分でも、いつもより落ち着いた気持ちになっているのが実感できるはずです。

いつも無駄に長く意識していた向かい側から歩いて来る人も少しの注意ですれ違えますし、目的地までの道中にあります様々な誘惑にも打ち勝つことができるかもしれませんよ(願望)。


度々申し上げますが、ポイントは、姿勢よくしていることで、肩甲骨を引き締めて、あごを引きお腹をへこませる。ピンと糸に吊るされたように頭のてっぺんと尾てい骨がまっすぐになるようにする意識。視線“だけ”を畳一畳先へ。
あと、あまり意識しすぎて険しい顔にならないことです。紳士淑女の微笑みを。
決して背を丸めた眠そうな不機嫌な人にならぬよう。ちょっとのことでも両者は紙一重ですから。


わたしは移動時、歩くときに試しています。意外に半眼は難しく、何かを視界のはしっこに発見すると、どうしてもきょろっと目を動かしてしまいます。物音にも反応してしまう。また、意識すればするほど落ち着かないのでまだまだ半眼スキル習得に時間がかかりそうです。それでも、目のやり場を定めることができて無駄な意識が減るし、変に目が合ったりしないので、じわじわ落ち着き効果を実感してます。

修行あるのみ。



すれ違い様に悟らせてやる!くらいの情熱で取り組みます。