とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

お気楽花道。-人も自分も豊かにさせる我

曜日ごとに1つずつお題を決めて、隔週で更新しておりますとりえです。火曜日のお題は「花のある人」。

「あの人は、どうしてか不思議ですが、花のようなお人なんですよ」
…このような人を研究するのが火曜日ってことにしています。

前回に引き続き考えていきます。
今回はちょっと、核心に迫ります。

***

これは前々回の結論

相手への配慮や尊重と、自己のかたちは、一見相反するもののように見えますが、両立できる。
かけ算のようにプラスになって、周りを明るくする。

敬語が、話す人と聞く人両方を美しくするような、
おしゃれが、着る人と見る人を心地よい適度な緊張感に包み、明るく幸せにするようなイメージだと思います。バランス感覚が大切。

独りよがりになるのではなく、自分を捨てて相手に尽くすのでもなく、それは、自分を含めたみんなに行き届く。

その究極的なバランス感覚のてっぺんに、「花が咲く」があるのかもしれません。

で、これが前回の考察。上記の結論を踏まえての、花になる手段を考えました。

花を咲かせるには、種を蒔く必要があります。人で言いますと、欲と、努力が必要です。

欲はほどほどに大事なもの。自分もよくて、みんなにもよい。前回考えた通り、究極的なバランス感覚の中心をとらえることが目的かもしれません。

うまくいかないものはやめて、うまくいったものだけを残していく。いくつも積み重ねる。それを継続していくのが種を蒔く。それなしに、自分だけの力では花は咲かない。


これらをふまえて、「花のある人」の条件を一言で申すならば。

人も自分も豊かにさせる我を真摯にお気楽に育てていく


このことが、はたまたそうしたいと思う気持ちが、はじめの一歩なんじゃないかと思うんです。
間違いは承知の上、現時点での結論です。


以下、解説~

  1. 人も自分も豊かにさせる

→自分を捨てて他人を豊かにするのでもなく、他人を捨てて自分だけを豊かにするのでもない。自分とその周りみんなが豊かになるような、"究極的なバランス感覚の中心"と言っていたものの言い替えです。意味するところは同じ。「幸せ」より、「豊か」という言葉の方が、より、らしい。
みんな、と申しましたが、すべての人というわけではない。しかし、自分を中心に、「1人のみんな」から始まって、近くの人からみんなという輪が広がって伝染していくイメージです。

  1. 我を

→我がままなんです。人を豊かにして何が悪い、と開き直ります。それでいて、わたしがそうしたいからするの。と、ニコニコしています。こんなにもアクティブなのは極端ですが、少なくとも静かでも、うれしい我がままをしています。我がままが自分も人も豊かにするって、幸せですよね。

  1. 真摯に

→それだけが自分の中の規則であるかのように、真面目に正直に素直に当たり前のように突き進みます。もし、道から外れた、違う自分を見つけたら、しゅん、と悲しくなり反省をして、また頑張ります。

  1. お気楽に

→自分の心と行動(言葉も含む)が一致していて、とてもリラックスした状態です。肩肘張るわけでもなく、恣意的ないやらしさもありません。自分の規則に関すれば筋を通しますが、それとは関係のないものにはカラッとしていて、執着もなく、すっきりとした物言いをします。明るい。

  1. 育てていく

→常にこうあろうと心に留めて生活をし、自身に磨きをかけます。うまくいったことは何度もやり、うまくいかなかったことは二度と同じことはしません、反省し、改善します。真摯になって。
いくつになっても、どんな状態でも、静かな向上心を秘めています。
他人に対しても、育ってほしいと願っています。後ろを向かないように、エールを贈っています。


以上をふまえて、

人も自分も豊かにさせる我を真摯にお気楽に育てていく

と、まとめます。


***

あとがき。


今回は書けば書くほど、伝えたいことや本質のようなものから離れていく気がして、、、表現力の鍛え甲斐を感じます。
花という「自然」をとらえようとしているのですから無理もないのかもしれません。 人工的なものに華はあっても花がないのはそういうところに起因しているのではないかとも思うのです。

だけれども、とらえてみたいのが人の性というものでしょう。
ゴールは「花」というたった一文字の単純明解な解なんでしょうけど。


どうして人間は複雑な情報を、一言で表そうとするのだろう。

そう言いながら、自分もそうであるのを確認するやいなや、不思議と可笑しくなった。

もう、含みのある言葉の虜なんですね。


文章を、言葉を、好きになってよかったなあ。