とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

毎日の「生活」が知的体力を作ること

わたしたちが日常的に行っている習慣的なもの、その行為や方法や量を、まとめて簡単に、「生活」と名前をつけるとすると、

 

この「生活」というものが、あらゆるものの、基礎をつくります

 

ブログを書く、絵を描く、勉強する、本を読む、写真をとる、子育てをする

 

こういったことをするときの、「知的体力」も、「生活」によって作り出されます

 

趣味とか、楽しいことが、なぜだか苦しいときは、いい「生活」するべし。

 

 

生活の中に、皆さまご存知、「挨拶」っていうものがあります。

挨拶って、何の意味があるの?っていいますが、挨拶のある生活をしていると、自分の中の、体力メーターみたいなのが上昇していって、体力がいっぱいに(余るくらいに)なりますと、余計なことまでしたくなるのが人の常。

「おはようございます、その荷物、重そうですね、半分、持ちます」

っていうことが、起こり得るものです。

 

挨拶という「生活」なくしては、たとえその気があっても、とたんに難しくなる。

そう考えますと、「生活」が、いろんなことの、“入り口作り” の役割を果たしているようです。階段だと、一段目。

 

 

基本は食事、睡眠、運動ですが、お風呂やお掃除、会話や休憩、洗濯からおしゃれまで、一見関係なさそうに見えますが、すべて「知的体力」の源(みなもと)です。

 

明るく文化的に生きたい我々(主にわたし)は、これら「生活」において、ひっかかるようなものが、ほんの少しも出ないように、リラックスして、ホッとできるような環境を、努めて作り出していくことが肝腎なのではないでしょうか。

 

余分がでるくらいでいいんです、自身を日常普段の「生活」の中で、ちょっとずつよくしていきながら、体力をつけてってあげてください。

 

 

そうすれば、朝起きたら、身体の向きが180度回転している(足元に頭がきて、枕の方に足がいっている)ようなことなんて、起きなくなるはずなんだから。(関係ない)

 

なにか自分にとっていいことをしたくてしょうがなくなるんだから。

 

昨日よりも、ちょっといい「生活」を。