とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

一人暮らし計画途中経過

昨日の夜は母親と夜ご飯を一緒して、前々から話はしておりましたが、行き詰まっていた引っ越しについてのわたしの希望を再度伝えました。

 

学校の先生が授業するときなど、人にモノを教える、伝えるときもそうですが、

物事を進めるためには、まず一つの課題を提示、踏まえておくのはもちろんのこと、そのために、こちらがアクションを起こした時に、

 

「理想的な状態(や、相手の認知やリアクション)」と、

「実際(現実的)に、考えられる状況や、つまずき」とを、

 

物差しで丁寧に計測するように、きちんと、その差(ギャップ)を、予測し、とらえておくことが肝腎です。

 

わたしにとっての「引っ越し」は、とあるものから「距離をとりたい(逃げたい)」に等しく、健康で文化的な最低限の生活をみたすための、じぶんを殺さずに生活するための第一歩に限りなくちかいもので、争いをせずに、平和的に解決するなら、こうなのです。たとえるならば、陰湿ないじめっ子がいる学校から転校したい心境です。

 

理想は、母親の「いいよ、」の一言で、

現実は、「待って」であります。

 

その理由も、母親側の、とある準備ができていないということで、それももちろん予測はしていましたので、

「いいよ、わたしがそこもフォローするから、」と、言いますと、

「それはあなたに悪いから、わたしがなんとかしたいから、」との返答。

その返答も、母親の性格からして、予測はできていましたから、迎え撃つ(迎え撃ったらいけないかあはは)わたしは、

「そんなの平気だよ、ほんとうにわたしに悪いのは、引っ越しできない(逃げることができない)ことの方、そのためならそれぐらい」

と言ってからは、なんかいろいろとごまかされて、話もすりかわって、それ以上の進展はありませんでした。無念。

 

理想は、強い意志でずばずば物事を進めるわたしで、

現実は、相手の顔を見ると、言葉がでなくなる、ひよってしまうわたしでした。

 

それでも、希望は伝わっていたのがわかったのですから、少しは、進んでいるのかもしれません。先は長い。

 

時間が解決してくれるその時がくるまで、どうやってつらいことから逃げ切るか、どうやって、その中で、先へとつながる楽しみを見いだせるか、それが新たな課題です。