読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とりえかんざし

お休み中です

「好き」と「幸せ」は似ていて

たぶん、人からもらうものではないのだ

 

***

「あなたはわたしの「好き」を代弁してくれますか?」

 

なにかを好きで好きでしょうがない。

そんなひとを好きになる。そんな人たちの輪に入ると、楽しい。

 

けれどそれは、わたしの理想像を、他人に当てはめて、好きになっているだけであって、その人そのものを好きになっているわけではない(真っすぐな目で見れていない)、私欲の混じる不純なもの。

 

わたしは誰かの「好き」に同調することで、「私の好き」を代弁してもらっていたのだ。代わりに叶えてもらっていたのだ。

 

誰かの「好き」に依存するということは、土台が自分以外のところにあるわけで、その誰かが他のものを好きになってしまったときに、足元は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちて、一人おいてけぼりをくらうだろう。好きは簡単に変えられない、、、はず。(それとも上手に生きられないだけ?)

 

「どうしてみんな、「好き」が、変わっちゃうの?」

言った瞬間、しまった、と思った。すぐに、呪い返しのように跳ね返ってくる。

「みんなも「好き」じゃないと、あなたも「好き」じゃなくなるの?」

そんなわけない、そんなわけないのに。。。

 

いつの間にか、わからなくなっていた。

 

***

部活、何にしたの?

 

「○○さんが、その部活に入るんだって。だから、わたしもそこにしようかな」

 

というのに似ていたかもしれない。みんな楽しければ楽しい。おいしくなくても、おいしい。一人でも元気がなかったら、その人と一緒に笑えるようになるまで笑わない。昔から、そういう生き方だったから。

 

「そういう決め方やめなさい。あんたがやりたいんじゃないの?」

 

どうやって、決めるの。

みんなは、どうやって、決めてるの。

 

***

そこに山があるからです

 

「○○だから、好き」は脆くて、

「○○なのに、好き」はちょっと堅い。

 

「なぜなら、好きだから」は、強いんだ。

 

 

 これからは、この言葉で生きようと 決めた。なぜならわたしが、そうしたいと思ったから。