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とりえかんざし

日常と、絵と作文の“毎日更新”練習帳。いつもなにかに心を寄せて。恋していたい。

調律

日記 雑記

最近のわたしは、「いかに頭の中を静かにするか」が勝負の分かれ目。一見、考え方の問題と思いきや(実際比重は高めですが)、物理的に身の回りのものを整えたり手放したりするなど、モノを減らすことも速効性があり有効です。スマホのアプリも同様に。

 

症状は、ほうっておくと、何も手の着かないといいますか、何も動くことすらできなくなる廃人のようにしてしまったり、文字が頭の中に入ってこなくなったり、ついには好きな歌でさえも耳ざわりになってしまうことも有りうる、楽しいものが吸収できなくなるのですから、非常に毎日が残念なことになってしまう困った症状であります。単純に、インプットが遮断されるわけですから、人の話も聞けない、ブログも読めない、コミュニケーションがとれない、それはもうひどいことになってしまうわけです。

 

理解しているわけではありませんが、世間一般的には、ADHDとか、アスペルガーとか、そういう類のものとして、分類するのでしょうが(このごろの(家の人のこと考えてるときだけ)症状が特に顕著だっただけであり、普段的にそうでないことは十分ありうる)、精神科医などの専門家でさえも、手を焼くものであります、誰かが治したり、お薬が治してくれたりといったことは、過去の経験的にはそんなことはないでしょうと思っていて、治すとか、治らないとか、そんなことは、まずはどうだっていいのです。

 

大事なのは、自然体で日々暮らせるかどうかで、調子がいいときのじぶんを認知して、その状態を再現、じぶんの意志で留めておくこと。本も読めない、会話もできない、音楽も耳に入らない、無表情、突然泣き出す、朝から考え事だけでお昼になっちゃった、とかそ ういうのは、自然体とは相反する状態ですからあはは

 

調子がいいときは、こんな症状なんて出ないんです。じぶんでじぶんのやることを決めて、責任もぜんぶじぶんに置いて、あれしてからこれしてからって考え方やめて、頭をシンプルにして動いていれば、平気で。

解決しない問題を抱えたまま、その問題の主導権をだれかに渡したまま、それを我慢して、他のことで楽しくなろうったって、「それはそれ、これはこれ」っていう対処法が苦手な人にとっては難しい話で、主導権をじぶんに引き寄せない限りはきっと、うまくじぶんをコントロールできないんです。

 

今は “一旦諦める” ことによって、気持ちが溢れないようにコントロール、束の間の安息を貪っております、だけれども完全に諦めることはないでしょうから、再発症は時間の問題のような気がしていて、それはごめんしたいので、一生懸命頭の中を静かにしています。今年の四月以前はできていたのだから、できないことは、ない。

 

こういうこと書いていると決まってどうでもいいことまで先回りして考えちゃうこともよくある話しですが、がんばれって言ってほしいわけでも、同情してほしいわけでもなくて、

ただただこの状態から抜け出したい

具体的に言えば家から出ていって、一人暮らししたい。諦めるのは簡単、逃げるは難しい、けれども難しいほうがわたしにとっては前向きな挑戦で。じぶんのためにそうしてあげたい。そうしなきゃもうだめなんだよ。

とにかく書くことで、解決の糸口、材料にして、頭の整理にして。未来のじぶんにわかりやすいように記録して。

 

例えばテレビをとりあえずつけているような、受け身的で、周囲の情報や悩みに呑まれる、頭の悪い状態から抜け出して、

子どもがブロック遊びをしているとき、お絵かきをしているときのような、何かを作り出す、生み出すときの、頭の良い状態でいられる時間をもっと、もっと、生きたいのでした。