とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

餅やら菓子やらを神様にお供えして祈る

仕事が終わり、少しだけ食べ、蛍の光が流れるまで街の外れの本屋さんで過ごし、帰宅してからはこの間の続きです、冷蔵庫をさっぱり拭き終え、最後に眠るまで図書館で借りていた本を読んでいました。

ストーブの前で足を暖め、本をうとうとしながら読んでいるのはとても幸せで、ずいぶんとこういう感覚を、どこかに忘れていたのだなあと、感じるのです、自由な学びと暖かい空間。うとうと。

昔の学び屋といえば、寺子屋。読み、書き、そろばんです、そのほとんどは平民が運営していて(貧しい士族?の兼業としてもよくなされておりました)、中には夫婦でしているところもありました。当時も運営にあたり、免許や、適正な能力があるかどうかの試験、許可を頂いたり等はあったのでしょうか。気になります。

年中行事と言えば、皆さまご存知でしょう、書き初めは、生徒なら手習いの成果を、師ならば「自分の教えでこんなにいいものを書くようになりましたよ、えっへん。」といった手腕自慢兼宣伝みたいなものだったのでしょうか、とにかく、誰かに見せる作品を書くという刺激は、とてもとてもいいものに違いありません。

年中行事のお話でしたが、変わったところで、「天神講(てんじんこう)」というものがございます。これは、寺子屋の子らが、神様に餅やら菓子やらをお供えして、手習いの上達を祈る行事であり、お正月の25日(詳しくはわかりません)にそのようにしたそうです。

個人的に思っていたことですが、子どもも大人も、学びに対してとても明るいイメージがあって、生活と社会と密着していて、一人一人の学びのペースがあって。字を書けることに唄を詠めることに計算をできることに書を読めるようになることにすごーく明るい。わたしは変ですから、言ってもしょうがないですけど、素敵だと思います。

 

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只今本の返却日に追われていますが、うとうとしてきたら素直に本を閉じて。ねる準備をします。そしてブログを更新して寝る。

今日はストーブの前で本を読んでしあわせ。

いつかストーブの前で本をかいてしあわせ。

とかなんとか妄想を言う前に、わたしもお菓子でもお供えして、「かくこと」の上達を祈って、祈りながら寝ます、上達しますように、もっとたくさんかけますように。

 

おやすみなさい。