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とりえかんざし

日常と、絵と作文の“毎日更新”練習帳。いつもなにかに心を寄せて。恋していたい。

思考の整理にすらなりそうもありません

日記

子どものころから病気がち、小さい病気、風邪などはひかないけれど、小児喘息や低血糖症など、ちょっと重めの病気をいくつか持っていて(今はすこぶる良好)、幼少期だって、幼稚園で過ごした記憶より病院で過ごした記憶、友達よりも母や看護士さんと喋った記憶、外で遊ぶより点滴の記憶。海や公園の砂のにおいよりも、手の甲に巻かれたテープの、薬品のにおい。

 

わたしはよく人から食べ物をいただくことがあります、なぜ。鏡で自分を映しても不健康そうに見えるわけでもありません、痩せすぎというわけでもないのです。それでも今は健康体でも、心配されるんです、「大丈夫?」って、わたしのこと、信じてない。「元気なさそうに見える」って、いつも元気ないので平気です。「ちゃんと食べさせてあげないとまたおかしくなっちゃうんじゃないかって」って、やめてよね。心配されると、やんなっちゃうんです。でもそんなことを考えちゃう自分が一番やんなっちゃう、人からどう思われるかなんて人の勝手です、わたしは、わたしは。

 

わたしは、もっと「なにか」ではなくって、「これ」と選んだものにまっすぐ目を向けて、それに誠実に生きてみたくて、そんなの、難しいに決まってる、それでも、そうじゃない自分を日々の生活の中から「そうじゃない」と俯瞰しながら、修正しつつ過ごす努力をはじめています。言葉も、選んで使っていけたら、とてもよい。やんなっちゃう、とか、もし使うとしたら、もう、やんなっちゃう!ってスパッと言って、それですっきり終わらしてあげて、それ以降を引きずらないのがポイントです。

 

わたしがしっかりしなくてはいけないところは、ごらんの通り、ひと通り書き終えましたら、「何を言いたいのかわからない」という状態になっていること。何が伝えたかったのでしょうか。

そもそも伝えようとしてなくて、書きたいままに書いてる、が、正直なところ。思いつきで書いたって、読んでて心地よくなるルールはそこにはないのです。独りよがりにすら満たず、悪い意味で透明なもの。意味を後付けする癖はわたしにとって、よくないこと。

そんな状態から、次へ、ほんのわずかでもいいから、ステップアップできたらって、思うが瞬間、次なる疑問がわさわさ。こんな欲も過ぎたこと?書くのが好き、それ以上を望まない方が幸せなのでしょうか?そんなことはぜったいないって、奥の方から声が聞こえる。(この自問自答のやりとりは、自分でも思います、とてもめんどうくさい)

 

もし好きならば、もっと好きになるにはどうしたらいいか考えなさい。たとえばもし、もっと好きになったとしたら、もっともっと好きになるにはどうしたらいいか考えなさい。

 

そのために今は苦しいんだからね。

 

***

 

うーん…考えれば考えるほどに、かしこさから遠ざかっていく気がしてくるのはきっと間違いじゃなさそうです。

今日のところはこのあたりでおしまい。と言いつつも、自分でどのあたりかわからないのが今のわたしのようですあはは。24時をまわりました、もう寝ましょうそうしましょう。「明日がなかったらどうするのだ」と、自分に言い聞かせながら寝ることにします。

 

おやすみなさい。よい休息を。