とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

「日数をかけてかくこと」という未知

春を感じるには至りませんが、なんとなく、冬の終わりが近づきつつあるような、そんな雰囲気を微かに感じるようになりました。まだまだ朝方は雪がちらちらしています。本日は昼間は明るく、夜も比較的穏やかでした。

 

帰りしな、明日は里芋を煮っ転がしましょうと思い立ち、夜は、お味噌汁をつくるお湯を沸かしながら、里芋の泥を落としていました。泥を落として水気をとって、今日は終わり、皮は剥かずに明日まで放置です。皮をむいてじっくり煮詰める忍耐力は残っていません、今日はこれでよしとする。

 

夜ご飯を食べ終えて、片付けをして、まだ眠りませんが、寝る支度を整えます。水曜日は相棒を観るのがもうすっかり楽しみになってしまいましたので、それまでにお風呂も済ませます。

お風呂に入りながら考えることは、イラストのことで、わたしは絵を何日もかけて描いたことがありません。このブログも、毎日更新を図々しくも謳っておりますので、何日もかけていられないというのが現状で、今までの落書きも記事も、基本的にぱっとかけたものしかあげていないのです。すぐかけるものじゃなかったり、長引きそうだったり、ぱぱっとするにも書きづらいものだったり、それらに関しては、ずっと切り捨ててきていました。

ただ、今考えてみると不思議です。毎日更新と、イラストに何日かけるかということには、何の強制的な関係性はないのです。わたしは今まで、長期的なスパンでかくことに、言葉にならぬ不安を感じたり、飽き性の自分にはできないでしょうねという諦めもあって、最初から考えないようにしていました。

しかし、できないのは、やったことがないだけであり、飽き性という言い訳だって、飽きぬものを探し見つける努力をしたくないだけのわがままであった気さえしてくるのです。飽きてしまったらもういやだー、ではなくてですね、飽きてしまうのも、想定に入れておく、計算のうち、それも過程である、そんなふうに許容してあげて、乗り越えつつ長期的にかく。

それがわたしのやったことのないことなのかもしれません。

 気持ちも環境も体調も予定も変わりゆく中で、あせらずに大きくかいていくためには、

 

ためには、、、っていう思考がいけません、いけません。

言い直して、

 

気持ちも環境も体調も予定も変わりゆく中で、あせらずに大きくかいていきます。何日かかったって、別にいいんだよ、あなたの本当にしたいことは、1日でできるようなことじゃないんでしょ?だったらなおさらです、やれることからでいいので、練習すること。

その日を凌ぐので精一杯な生き方の中でも、やれないことはないのは、事実です。