とりえかんざし

いつもなにかにこころをよせて、恋していたい

親孝行って何をすればいいの?

わたしの中で「親孝行」というのは、「ご飯を一緒に食べること」。プレゼントをあげるでも、肩をもんであげるでも、お金の応援をすることでもなくて、たしかにそれらも喜ばれることでしょう、だけれども、わたしの家族の場合は違うのです、とくに何をするわけでもなく、ただ時々一緒に過ごすのです、そして「ご飯を一緒に食べること」。

 

子どものころは違いました。その時は、「地元の良い大学へ行くこと」でした。これもわたしが勝手に“そう思っていた”に過ぎないことではありますが…

 

大人になってから(わたし自身現時点で大人になったとはとうてい思えませんがあはは)分かったことは、「親孝行」の(わたしの思う)かたちは変わりゆくものということ。それぞれ賞味期限があるのでした。

 

「健康でかつ、いい子でいること」は中学生まで。

「地元の良い大学へ行くこと」は、大学生まで。

「ご飯を一緒に食べること」は、これからしばらくです。

 

大人になったって、母からしたらずっとずっと子どもであり、おじいちゃんおばあちゃんからしたらずっとずっと孫なのです。

 

大人になったら大人らしいことをしてあげることが親孝行とは限りません。そうする人へだめって言いたいわけでもなく、不十分だと言いたいわけでもありません。わたしだって、母にハンドクリームをよくプレゼントしたり、祖父母にお歳暮風のものを時々渡したりしています。これもたしかにひとつのかたち。

 

けれども、わたしの中ではそれらは決して一番(親孝行たる主要素)にはなり得ないのです。「親孝行」とは違うのです(ただの一方通行に近い「喜ばし」です)。

たとえそれらができなくたって、一緒にご飯を食べて過ごすことが時々でもいいですから、できたならば、それで合格点。

きっと、なにもしていない(なにもしてあげられていない)と感じることがあるかもしれません、わたしもいつもそう思って不安になります。が、でもそれが「親孝行」として、一番近いように今は思っています。

 

「いろいろしてもらっちゃったのにわたしなにもできなくてうんぬん」と言ったときに、

「そんなことないよ」と言うのは、

わたしの知らない何かを受け取っているらしいのです。

 

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おまけ

 

今日の夜ご飯こんだて
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  • 二色そぼろ(挽き肉と卵)
  • 菜っぱ(三色にしたかった)
  • 大根おろしとなめこのお味噌汁
  • ごはん
  • ごぼうとにんじんの甘辛